日本人のセックスレスの傾向がさらに進んでいるという調査結果が発表されました。
日本家族計画協会によると、2016年に実施した調査からわかったこととして、以下のことが挙げられています。
(16才から49才の既婚者男女655人に調査)
・男性は47.3%、女性は47.1%
・男女ともに45〜49才がもっともレスの割合が高い
調査をはじめて以来、セックスレスの割合は徐々に高くなっていて、今回が一番高い結果となったとのこと。
レスの理由で主なものとしては以下が挙げられています。
<女性の理由>
・出産後なんとなく:20.1%
<男性の理由>
男性が拒否る時によくいうセリフ「疲れてるんだよ…」というのは、単なるポーズではなくて本当のことなんですね。
女性の理由も、想像どおりのものが上位に来ている模様です。
その他の理由としては、
「現在妊娠中」「出産後すぐだから」「肉親に思える」「趣味の方が楽しい」「EDの不安」などが挙げられています。
資料によると、2004年には夫婦のセックスレスの割合は31.9%だったので、この12年で15%以上もレスが増えたことになります。
日本のセックスレス化に、ますます拍車がかかっているのです。
セックスレス同士の夫婦。性欲が高まる年代にセックスレスになる不幸
これは調査結果ではありませんが、一般論として、女性の性欲のピークは30代・40代だと言われています。
もう一つ、よく聞く話として、女性は出産後の方が感度がよくなった、という人も多いみたいです。
結婚をして、安心してセックスできる環境にありながら、セックスレス化がどんどん進んでいる。
30代になって本当はもっとセックスを楽しみたい、快感を味わいたいのに、パートナーは応じてくれない。
いっそ、夫婦が両方ともセックスに消極的であれば、それはそれで面倒ごとが減って万事OKなのでしょうが、不幸なのはどちらか一方がレスでもう一方はお盛んな場合です。
実際のところ片方だけが不満を抱いているパターンは、今の時代では異常に多いのではないでしょうか。
世の中に欲求不満・性的不満な男女があふれてきている気がします。
セックスレスの理由の一つ。相手に飽きれば刺激はなくなる
調査結果では出ていませんが、セックスレスの理由としてもう一つ大きなものは「相手に飽きた」ということもあるでしょう。
セックスというものは刺激の要素も大きいので、同じ相手と性行為を繰り返していると、安心感・安定感は生まれるものの、刺激や興奮の度合いは減っていきます。
行為の順番や方法などもパターン化してしまい、ルーチンワークのように思えてしまったら、そこにセックスの喜びを感じることはなくなるでしょう。
飽きることは、馴れること。
最初の1回と、何度も経験を積んだあとの1回は、同じ行為であるのに全然感じ方がちがいます。
そういう時は、セックスに対する価値がどんどん下がっているのです。
これは仕方のないことです。
また、その他の理由の一つにある「肉親に思える」ようになってしまったら、もう最終コーナーを回ってしまった感があります。
セックスレスの時代に求められるもの
夫婦間のセックスレス化が進む一方で、その夫婦がそれぞれ外の世界に親密な関係を求める傾向が高まっています。
ただ一般的にセックスレスというのは夫婦の間(恋人など特定のパートナー同士)のみの話であって、1人の男と女としてみた場合は必ずしもセックスを拒んでいる人ばかりではないのです。
ぶっちゃけて言うと、旦那(妻)とはやりたくないけど、別の男(女)とならやりたい、ということ。
先ほど述べたように、性的に不満を抱えているのに、夫婦の間ではセックスがない状態でそのまま生きていくことは最早苦行です。
性欲は、食欲や睡眠欲と同じように、人間の持つ根本的な欲望だからです。
欲しているのにそれを無理やり抑えつけて我慢していると、心身に異常をきたしてしまいます。
賢明な読者の皆さんはもう、おわかりでしょう。
現代の出会い系の盛り上がりは、そういったセックスレスの時代を反映したものなのです。
もちろん、夫婦以外の相手との性行為は道義的にも法的にも裁かれる場合があります。
理性と本能の間で、まさに冷静と情熱の間でどう折り合いをつけていくかが、現代を生きる男女には求められているのです。
セックスレス同士は、出会い系でつながりたい
セックスレスの者同士が新しい出会いを家庭の外に求めるのは、自然な流れです。
出会い系に登録している既婚者は、ある意味ではみんな悲しい者同士です。
家庭で満足できない思いをぶつけられる相手を求めて、さまよっているのです。
夫には相手にしてもらえないけど、別のAさんにはとことん尽くしてもらえる。
妻からは冷たくされっぱなしなのに、出会ったBさんとは熱く愛し合える。
そんな男女が、いかに多いことか。
「不倫=倫理に合わない」「浮気=浮ついた気持ち」という言葉では決してくくれない、やむにやまれぬ切実な望みが確かにあるのです。